國學院久我山がつなぐサッカーを目指す理由 効率を求めて文武両道を実現

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/90th/text/201201040002-spnavi.html

よく巷では『スポーツの秋』と言われますが、
個人的には、年末年始の方が様々なスポーツが行われていて
盛り上がる気がするのですよね。。。

・駅伝
・サッカー
・ラグビー etc.

今回、sasaが注目したのは
高校サッカーのとあるコラムです。

國學院久我山という東京代表のチームですが、
この高校が、というよりは監督の考え方が面白いのです。

まずは、サッカー漬けの生活が当たり前?の高校サッカー界において
文武両道を実践している、ということです。

『高校生のみの問題ではなく、
 人間誰にとっても時間は有限だ。

 限りある時間、人生だからこそ、
 特に多感な高校時代には
 サッカー以外のさまざまなことに触れる時間を
 持つべきではないか。

 他校に比べて休みの多い久我山の選手たちは、
 勉強のみならず、映画や音楽、
 彼女とのデートを楽しむのだという。』

野球漫画『巨人の星』の星一徹が見たら
気が狂うほど怒りそうな一節ですが・・・

ただ、sasa個人はこの考え方に賛同です。

現在の学校教育(偏差値主義、学歴社会)
に関しては???な部分も多いですが、
人間的な魅力を身につけるには多感な時期の様々な経験は必要不可欠かと。

別に、ひとつのことに集中するな!
ということではなく、やるときはやり、遊ぶ時は遊ぶ。

実際、sasaの高校時代にも、
スポーツ推薦で入学された方々は、
ある意味、人間力があるというか、
あえて一言で表現するならば『停学予備軍』でした。

良くも悪くも、問題児的な集まりで、
その後の人生は後追い調査していないので謎ですが、
中村文昭のように成功している人と、転げ落ちている人に分かれているのではないかと。

プロになるサッカー選手も、
数年で引退をすると、その後の第二の人生が問題になる、
と、以前サッカーマガジンで読んだこともありました。

将来を嘱望された平山相太も、その辺りを考えて
高校卒業後即プロ入りではなく筑波大進学を選んだのでしょう。
(結局、筑波大学中退ですが)

平山選手の場合は国見高校の恩師小嶺忠敏総監督の助言もあった、
とのことですので、

國學院久我山のような考え方は、
昔よりはだいぶ浸透しているのかもしれませんね。

エリート集団を育てよう!という
Jヴィレッジも、そのような考え方だった気がしますし。

一方で、
・Jリーグに夢がないからだ
・ハングリー精神がない
・他の事を犠牲にしてでもひとつのことを成し遂げようという気概がない
という意見もあるでしょう。

確かに、もし、ワールドカップで優勝する!
ということが目標なら悪童でもサッカーに秀でている人間が必要なのかもしれませんね。

どちらが良い悪いではないのですかね。

sasa個人的には、
例えばマラドーナはサッカー史に名を残す伝説的な名選手だと思いますが
あそこまで犯罪や麻薬に手を染めている事実を考えると、
やはり人間的な教育が必要だ、と思ってしまいます。

最も、
これは日本という平和で裕福な国で
昭和後期に生まれたものの意見かもしれませんが。

『■たとえミスをしてもつなぐスタイルは変えない

「ああいうミスが起きればやはり、『こういう大会の特に前半は蹴っておけばいいんじゃないか?』という意見も出るかと思います。その意見に対してどう返しますか?」

 3日に行われた3回戦・矢板中央戦後、國學院久我山の李済華(リ・ジェファ)監督にこういう質問をぶつけてみた。1-1からのPK戦(3-5)での敗戦とはいえ、久我山は開始1分にも満たない25秒にディフェンスのバックパスをGKが空振り。それを矢板中央のFW福澤邦人に詰められ先制点を許した。その失点を「アクシデント」と表現した李監督だったが、GKを使ったビルドアップ、つなぐサッカーを貫く久我山だからこそ起こった致命的ミスであり、失点と言えるだろう。李監督は冒頭の質問に対してこう返した。

「わたしは蹴っておけとは思わないです。ミスというのはあると。ミスを怖がって自分たちのプレースタイルを変えるよりも、複合的なミスの問題だとか、ボールコントロールの問題だとかという形でとらえることが大事だと思います」

 また、李監督は「(矢板中央は)粘り強く戦っていました。体力的に強くというよりも、それをかわせるだけの自分たちのサッカーを、スタイルを貫いて、彼たちをやっつけられるチームになるべきだと思います」とした上で、「この負けを機にフィジカル的に鍛えあげるようなことはしないのか?」との問いに、苦笑しながら「あり得ないです」と答えた。

 李監督が長い年月をかけて浸透させてきた久我山のつなぐサッカースタイルでは、「ボールコントロールと状況判断が一番大切」であり、そのサッカーを志向する理由は、「単純に勝つ確率が高いから」だという。高校サッカー界でも近年は独自のスタイルを確立して全国の舞台で脚光を浴びるチームが出始めているが、スタイル自体に良し悪しというものはないし、久我山のスタイルが「善」で誰もがそれを追求すべきとも思わない。しかし、いまだ閉鎖性と非合理性の残る高校サッカー界において久我山のスタイルというのは一考する価値があるものではないか。わたしがそう考える理由は、「効率的だから」というたった一つ、その一言だ。

■制約があるから短時間で効率的な練習に

 久我山のようにボールコントロールを大切にするサッカーにおいては、身体能力の高い選手やハードトレーニングは必要不可欠ではない。たとえスポーツ推薦であっても高い評定平均と偏差値が求められ、入学後もサッカーと勉強の両立が求められる久我山のような高校では「手持ちの選手層でいかに勝つか」と同時に「いかに短時間で効率良く練習するか」が問われる。一般的に久我山は「うまい選手を集めているからつなぐサッカーができる」と考えられているが、わたしから言わせれば、それとは真逆の発想と現状だ。

 選手獲得と練習時間で学校が設けた制約があるから、ボールを主体としたつなぐサッカーを志向し、ボールコントロールを重視した短時間で効率的な練習メソッドを用いる。そうしたスキームがあるからこそ、今大会も華奢(きゃしゃ)で「違うチームにスカウティングされなかった」(李監督)という状況判断に優れた1年生の渡辺夏彦、平野佑一らが出場し、活躍できていたのだ。

 文武両道を実現するべく東京ヴェルディユースへの昇格ではなく、久我山入学を選択した平野が「ここは練習の終わりが早く、自宅からも近いので、帰宅後2時間以上の勉強時間を確保できています」と話していた。こういう発言がもし異質に聞こえるのであれば、まだまだ高校サッカー界が選手に「サッカー漬けの生活」を強いているということだ。

 高校生のみの問題ではなく、人間誰にとっても時間は有限だ。限りある時間、人生だからこそ、特に多感な高校時代にはサッカー以外のさまざまなことに触れる時間を持つべきではないか。他校に比べて休みの多い久我山の選手たちは、勉強のみならず、映画や音楽、彼女とのデートを楽しむのだという。

 オフに思い切り勉強し、思い切り遊ぶからこそ、サッカーをする時に最大限の集中力とパフォーマンスが発揮できる。単に勝った負けたで久我山のサッカーやスタイルを評価するのではなく、なぜ久我山が高いレベルで文武両道を実現できているのか、そのためにどういう考え、練習メソッドを持っているのかを見ていけば、彼らがつなぐサッカーを目指す理由と同時に、常日ごろ「人間教育」をうたう高校サッカー界が参考とすべきものも浮き彫りとなるのではないだろうか。』

金持ち父さん研究室 ささ
金持ち父さんロバート・キヨサキのキャッシュフローゲーム101徹底解剖

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